2008.03.30 Sunday
続くかも知れないどころか、続きまくってます。
水曜マチネに引き続き、金曜マチネも観てきました、はい。
休みの度にいそいそと出かける私を、不審そうに眺めている両親に、最初はあーだこーだと口から出まかせの言い訳をしておったのですが、最近はもう言い訳のネタも尽きまして、ただ「ちょっとそこまで・・・」とだけ呟いて家を後にしております。
で、金曜マチネ。
「ハンニバル」のシーンに全体的にキレがなく、クリスティーヌの[Think of Me]も、思わずオイオイ!と突っ込んでしまうくらい下がった音程から始まっていて、「うーむ、今日はあまりよろしくないかも・・・」と思っていたのですが、ファントムが登場してきてからは、ピリッと舞台が締まりましたね。
「ハンニバル」のあのダレた感じは何だったんだろう。
本来歌で引っ張って行くべきカルロッタとピアンジのコンビが、周囲と比べて微妙に芝居や歌のテンポが緩かったのも原因の一つかな。
今一つ音楽に乗り切れてないと言いますか、全てにおいて間延びしてしまっているような印象がありました。
もう少し積極的にリズムを掴んでいってもいいのではないかと。
それからこれはカルロッタやピアンジだけではないのですが、最近[Prima Donna]のシーンが、悪いと言ってしまうほど悪くはないけども、良くもないですな。
せっかくの優雅なワルツの三拍子が、あまり生かされてませんね。
各人の手前勝手な悲喜交々の苦さを、ピンクの砂糖で包み込んで誤魔化してしまうような、皮肉な甘さ、皮肉な明るさがこのシーンの持ち味だと思うのですが、皆さん悲喜交々を表現する事に気をとられて、それをワルツの甘さで包む事を忘れている。
この曲に関しては、メロディーに一定の波があり、かなり分かりやすく作曲されていると思います。
要するに、音が高くなるに従ってクレッシェンドをかけて、歌を膨らませていけばいいんですわ。
「プリ<マ>ドンナ 大事>な人<よ」
主旋律以外のメロディを歌う皆さん、ラウルやメグやマダムは、とにかく自分の歌うパートが、曲全体において、どのような役割を担っているかを考える事が重要ですね。
ジグソーパズルのように組み立てられた音楽の、どのパーツに自分がいるのか。
自分のパーツに求められている役割は何なのか。
リズムに変化をつけるためか、ハーモニーを作るためか。
自分の役に振られたメロディについて、音楽的側面から色々と考えてみるのも面白いのではないかと思いますが。
高井さん、喉の調子は、やはりまだ本調子ではないと思うのですが、かなり声の粘りが戻って来ましたね。
鏡の向こう側で「私がいるのだ、そのな〜か〜に〜〜」と、何かが渦巻くような声で歌われた日にゃ、クリスティーヌじゃないけれど、思わず「エンジェル・オブ・ミュージック私の大切なかた〜〜音楽の天使なの素敵なかた〜〜」と歌い返したくなってしまうってもんですわ、ええ。
最近の高井さんの「ここだエンジェル・オブ・ミュージック・・・おいでエンジェル・オブ・ミュージック・・・」は大変邪悪な気配に満ちておりまして、とてもじゃないが天使の声には聴こえないのですが、ファントムの正体を暗示していて悪くない。
それから、これもわりと最近の傾向だと思うのですが、[The Music of The Night]の入り、「静かに広がる闇」を、囁きかけるように柔らかく入るようになりましたなあ。
歌を歌うと言うよりは、一つの物語を語って聴かせるような雰囲気の入りでして、個人的に気に入ってるんですよ(笑)
子どもの頃、宇野重吉さん朗読の「日本昔話」のカセットを聴きながら寝るのが好きだったのですが、布団に潜り込んで、ラジカセから聴こえてくる、低く柔らかい声に耳を傾ける、それと同じような感覚を、高井さんの歌にも感じる訳であります。
宇野重吉さんの朗読も、音楽的だったしな・・・。
そんなこんなで一幕が終わり、この日は二幕に入ってからが凄かった。
[The Point of No Return]のラスト、姿を隠していたフードを外され、正体を暴かれたファントムが指輪を渡して告白する場面。
・・・とても、暖かい歌だなと思ったんですね。
とても暖かい、と。
でも同時にとても哀しい歌だと思ったんですよ。
視界がゆっくり滲んで行くのを感じながら、こんなに暖かい歌なのに、なぜこんなにも哀しいんだろうかと考えていたのですが、「ああ、そうか。これがこの人の”心”なんだ」と思った瞬間に、またまた涙腺大崩壊してしまいました。
私の場合泣くとですね、涙の3倍は鼻水が出るので、なるべくならば泣きたくはないんですよ。
しかし「こんなにも暖かい想いが心の中に溢れているのに、うまく表現できないんだなあ。こんなにも暖かい気持ちを抱えながら、誰にも分かちあえずに独りで地下で生きてきたんだなあ・・・」と思うと、もうどうにも止まらない。
それ以降は「分かってるから、もう分かってるから、そんな事をしなくてもいいんだよ」という気持ちでファントムを見ていました。
歌に載せて、ファントムの心を届けてもらえるとは思っていなかった。
幸せ、と言ってしまうには、あまりにも哀しい幸せではありましたが、紛れもなくこの日の私は幸せな客だったのだと思いますね。
またまた続く、かも知れない。
水曜マチネに引き続き、金曜マチネも観てきました、はい。
休みの度にいそいそと出かける私を、不審そうに眺めている両親に、最初はあーだこーだと口から出まかせの言い訳をしておったのですが、最近はもう言い訳のネタも尽きまして、ただ「ちょっとそこまで・・・」とだけ呟いて家を後にしております。
で、金曜マチネ。
「ハンニバル」のシーンに全体的にキレがなく、クリスティーヌの[Think of Me]も、思わずオイオイ!と突っ込んでしまうくらい下がった音程から始まっていて、「うーむ、今日はあまりよろしくないかも・・・」と思っていたのですが、ファントムが登場してきてからは、ピリッと舞台が締まりましたね。
「ハンニバル」のあのダレた感じは何だったんだろう。
本来歌で引っ張って行くべきカルロッタとピアンジのコンビが、周囲と比べて微妙に芝居や歌のテンポが緩かったのも原因の一つかな。
今一つ音楽に乗り切れてないと言いますか、全てにおいて間延びしてしまっているような印象がありました。
もう少し積極的にリズムを掴んでいってもいいのではないかと。
それからこれはカルロッタやピアンジだけではないのですが、最近[Prima Donna]のシーンが、悪いと言ってしまうほど悪くはないけども、良くもないですな。
せっかくの優雅なワルツの三拍子が、あまり生かされてませんね。
各人の手前勝手な悲喜交々の苦さを、ピンクの砂糖で包み込んで誤魔化してしまうような、皮肉な甘さ、皮肉な明るさがこのシーンの持ち味だと思うのですが、皆さん悲喜交々を表現する事に気をとられて、それをワルツの甘さで包む事を忘れている。
この曲に関しては、メロディーに一定の波があり、かなり分かりやすく作曲されていると思います。
要するに、音が高くなるに従ってクレッシェンドをかけて、歌を膨らませていけばいいんですわ。
「プリ<マ>ドンナ 大事>な人<よ」
主旋律以外のメロディを歌う皆さん、ラウルやメグやマダムは、とにかく自分の歌うパートが、曲全体において、どのような役割を担っているかを考える事が重要ですね。
ジグソーパズルのように組み立てられた音楽の、どのパーツに自分がいるのか。
自分のパーツに求められている役割は何なのか。
リズムに変化をつけるためか、ハーモニーを作るためか。
自分の役に振られたメロディについて、音楽的側面から色々と考えてみるのも面白いのではないかと思いますが。
高井さん、喉の調子は、やはりまだ本調子ではないと思うのですが、かなり声の粘りが戻って来ましたね。
鏡の向こう側で「私がいるのだ、そのな〜か〜に〜〜」と、何かが渦巻くような声で歌われた日にゃ、クリスティーヌじゃないけれど、思わず「エンジェル・オブ・ミュージック私の大切なかた〜〜音楽の天使なの素敵なかた〜〜」と歌い返したくなってしまうってもんですわ、ええ。
最近の高井さんの「ここだエンジェル・オブ・ミュージック・・・おいでエンジェル・オブ・ミュージック・・・」は大変邪悪な気配に満ちておりまして、とてもじゃないが天使の声には聴こえないのですが、ファントムの正体を暗示していて悪くない。
それから、これもわりと最近の傾向だと思うのですが、[The Music of The Night]の入り、「静かに広がる闇」を、囁きかけるように柔らかく入るようになりましたなあ。
歌を歌うと言うよりは、一つの物語を語って聴かせるような雰囲気の入りでして、個人的に気に入ってるんですよ(笑)
子どもの頃、宇野重吉さん朗読の「日本昔話」のカセットを聴きながら寝るのが好きだったのですが、布団に潜り込んで、ラジカセから聴こえてくる、低く柔らかい声に耳を傾ける、それと同じような感覚を、高井さんの歌にも感じる訳であります。
宇野重吉さんの朗読も、音楽的だったしな・・・。
そんなこんなで一幕が終わり、この日は二幕に入ってからが凄かった。
[The Point of No Return]のラスト、姿を隠していたフードを外され、正体を暴かれたファントムが指輪を渡して告白する場面。
・・・とても、暖かい歌だなと思ったんですね。
とても暖かい、と。
でも同時にとても哀しい歌だと思ったんですよ。
視界がゆっくり滲んで行くのを感じながら、こんなに暖かい歌なのに、なぜこんなにも哀しいんだろうかと考えていたのですが、「ああ、そうか。これがこの人の”心”なんだ」と思った瞬間に、またまた涙腺大崩壊してしまいました。
私の場合泣くとですね、涙の3倍は鼻水が出るので、なるべくならば泣きたくはないんですよ。
しかし「こんなにも暖かい想いが心の中に溢れているのに、うまく表現できないんだなあ。こんなにも暖かい気持ちを抱えながら、誰にも分かちあえずに独りで地下で生きてきたんだなあ・・・」と思うと、もうどうにも止まらない。
それ以降は「分かってるから、もう分かってるから、そんな事をしなくてもいいんだよ」という気持ちでファントムを見ていました。
歌に載せて、ファントムの心を届けてもらえるとは思っていなかった。
幸せ、と言ってしまうには、あまりにも哀しい幸せではありましたが、紛れもなくこの日の私は幸せな客だったのだと思いますね。
またまた続く、かも知れない。