昨日が今日なら明日はあさって 2021-01-15T06:39:37+09:00 砂の城ならぬ、紙のオペラ座
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https://twitter.com/si_asatte JUGEM Bear under the eyes http://asatte.jugem.jp/?eid=757 2017-12-08T22:47:00+09:00 2017-12-08T13:49:48Z 2017-12-08T13:47:00Z アドミニストレイター氏のご尊顔を眺めながら、「目の下のクマがなければもうちょっと若く見えるんじゃね?」と思いましてフォトショップで消してみました。
……ボス、イケメンです!!
しかし”目の下のクマ”って英語でどう表現するんだろうねぇ?と思ってグーグ... あさって
……ボス、イケメンです!!
しかし”目の下のクマ”って英語でどう表現するんだろうねぇ?と思ってグーグル先生に聞いてみたところ、グーグル先生は
Bear under the eyes
とお答えになられました。
…グーグル先生、爽やかな笑いをありがとう。]]> しつこく続く、ゆにをん観光PRポスター、その2 http://asatte.jugem.jp/?eid=756 2017-11-26T01:11:00+09:00 2017-11-25T17:55:53Z 2017-11-25T16:11:00Z 真面目な日本語ヴァージョン。
どこぞの宗教団体の勧誘ポスターみたいになっておりますな。
まあユニオンの存在も似たようなものではありますが。
うーん、個人的にはやっぱり「よし、行くぞう!」を支持したいと思います。
人生には笑いが必要なのですっ! あさって
どこぞの宗教団体の勧誘ポスターみたいになっておりますな。
まあユニオンの存在も似たようなものではありますが。
うーん、個人的にはやっぱり「よし、行くぞう!」を支持したいと思います。
人生には笑いが必要なのですっ! ]]> アドミニストレイター氏による、ゆにをん観光PRポスター http://asatte.jugem.jp/?eid=755 2017-11-26T01:05:00+09:00 2017-11-25T18:00:02Z 2017-11-25T16:05:00Z 今度は日本語ヴァージョンで作ってみました、はい。
「お前は『よし、行くぞう!』って書きたかっただけちゃうんか!」と言う突っ込みがあるかも知れませんが、決してそんな事はございません。
ゆにをん観光促進テーマソング
『おら、ゆにをんへ行くだ』
... あさって ゲーム
「お前は『よし、行くぞう!』って書きたかっただけちゃうんか!」と言う突っ込みがあるかも知れませんが、決してそんな事はございません。
ゆにをん観光促進テーマソング
『おら、ゆにをんへ行くだ』
ハァ〜 格差も無ェ 痛みも無ェ
戦争・諍い 全く無ェ
地震も無ェ 嵐も無ェ
お日さま毎日ぐ〜るぐる♪
ハイ! 朝起きて 犬連れて
二時間ちょっとの散歩道
出口は無ェ あるわけ無ェ
完全管理のユートピア!
おら現実は嫌だ〜 おら現実は嫌だ〜
ゆにをんへ行くだ〜〜
ゆにをんへ着いたら コァに頼んで
二次元へ旅立つだぇ〜♪
あ、そ〜れ
そ〜しましょ そ〜しましょ
そ〜しましょったらそ〜しましょ♪
]]> アドミニストレイター氏による、ユニオン観光PRポスター http://asatte.jugem.jp/?eid=754 2017-11-22T23:57:00+09:00 2017-11-25T17:49:20Z 2017-11-22T14:57:00Z
割と真面目な北米ヴァージョン。
どうも私の中で「ユニオン」は緑色のイメージがあります。 あさって ゲーム
割と真面目な北米ヴァージョン。
どうも私の中で「ユニオン」は緑色のイメージがあります。 ]]> サイコブレイク2 ネタバレ感想 その2 〜さらば我が愛しの上司〜 http://asatte.jugem.jp/?eid=753 2017-11-13T01:10:00+09:00 2017-11-16T13:55:22Z 2017-11-12T16:10:00Z この記事にはサイコブレイク2のネタバレが含まれます。
未プレイで結末を知りたくない方はご注意ください。
まだ語るんかい!という感じですが、メビウス及び私の愛するアドミニストレイター氏についてもう少しだけ。
あ〜、やっぱりボスはシルエットが美しいで... あさって ゲーム
未プレイで結末を知りたくない方はご注意ください。
まだ語るんかい!という感じですが、メビウス及び私の愛するアドミニストレイター氏についてもう少しだけ。
あ〜、やっぱりボスはシルエットが美しいですなぁ。
彼が常に左手をポケットに突っ込んでいるのは、手のひらの傷を隠すためかと思われますが、実は初代DLCでSTEMがまだ計画段階だった頃から左手をポケットに入れていたりします。
なので単に癖なのかも知れません、はい。
◆あなたは世界をどうしたいの?
初代サイコブレイクでのSTEMは本当にまだ実験段階で、実用には程遠い感じでしたが、今作ではかなり実用化に向けて研究が進んでいる感じでしたね。
しかしそこで個人的に疑問に思ったのがメビウスのSTEMを利用した世界戦略について。
メビウスがユニオンをどのように運営していたのかは断片的にしか窺えませんが、STEMは人間の精神を繋ぐ装置なので、現実世界にはユニオンに住んでいる人々の”実体”が眠っている状態なんですよね。
ロストの数からするとユニオンにはそれなりの人数が生活していたようですが、彼らの現実世界の肉体はどうやって管理してたんだろう。
人間の肉体を眠ったままの状態で維持するのは、それなりに手間とコストがかかると思うのですが。
私がシナリオ予想でリリーを脳死状態にした理由の一つはその辺にありまして、コアとして健康な人間をずっとSTEMに接続し続けるのは無理じゃね?と思ったんですよ。
ゲーム内では何の支障もなくリリーが出て来て終わりましたが(笑)
初代のルベンは脳だけにされていたので、繋がれっぱなしの状態でもそれほど違和感はなかったのですが、今回は生きている人間丸ごと一人ですからね。
その辺の細部設定の作り込みと言う点では、やっぱり今作はいささか雑と言いますか、甘いのよなぁ…。
メビウスレポートでは「世界各地に無線タイプのSTEMを配置する」みたいな事を書いておりましたが、街中でいきなり無線タイプのSTEMを発動して人がバタバタ倒れていったら、それこそビーコン以上の大騒ぎになりますよね。
車を運転してる人なんかはそのまま突っ込んでしまって事故続出だろうし。
最終的に全世界の人間の精神をSTEMによって繋げることが目標なのだとすれば、すなわち世界中の人間が眠っている状態になる訳です。
当然電気や水道と言った生活インフラをはじめ、ありとあらゆる生産と物流がストップするんですが、現実世界の維持及びSTEMに引き込まれた人たちの肉体の管理は、どうするつもりだったんだろうなぁ。
わざわざユニオンという”街”を作って、そこで被験者を生活させていた所を見ると、短期接続による記憶操作や思想操作を目的としている訳でもなさそうだし。
それともメビウスは、精神をSTEMに取り込んでしまったら、現実の肉体は失われてもいいと考えているんだろうか。
メビウスメンバーのみが、今ある備蓄でSTEMを維持しながら細々と生きて行く世界?
それはもう人類の進化どころか「人類滅亡計画」のような気が…。
アドミニストレイターにはその辺を小一時間問い詰めたいですね。
「あんた実際に世界中でSTEMを発動した際のシミュレーションしてんのか?」と。(そして殺される)
DLCの時はまだ実用化には程遠い段階だったから、ぼんやりした夢を語っていても「あっそう」で済んだのですが、今作ぐらい実用的になってもまだ夢を語っているようでは困るのであります。
ちなみに私がSTEMを使って世界を動かそうとするのであれば、全世界の人間を繋ぐなんて無駄な事はしません。
G7やG20、ASEAN、APECと言った世界の首脳が集まる国際会議の場に無線STEMを持ち込んで、ごく限定的に接続します。
あらかじめ会議場と全く同じ建物をプログラムしておいて、本人たちには気付かれずにSTEM内に引き込んだ上で、潜在意識にメビウスの意図に沿った思想を植え付けて短時間で解放する。
せっかくメビウスメンバーにチップを埋め込んでいるのであれば、チップを埋めた人間(ある種の信号を出している人間)の命令には絶対服従するよう暗示をかけておくのもいいですね。
それを何回も繰り返して徐々にメビウスの被支配者を増やしていきます。
とは言え、アドミニストレイターはどうも要人支配による世界のコントロールを目指しているのではなく、あくまでも全人類で一つの思想を共有することに拘っている感じですね。
まあ確かに要人支配でいいのなら、現在のメビウスでも可能ではあるか。
しかしあんなに冷たい性格をしておきながら、一方では皆で一つになる事を夢見ているとは、つくづく迷惑なおっさんだ。
◆あさって氏、STEMの使い道を真剣に考える
STEMの理念と言いますか、発想自体はとても面白いと思うのですが、勝手に拡散していくウイルス等とは違って基本”装置”なので、本来広範囲に影響を及ぼすのにはあまり向いていないんですよね。
無理に世界をどうにかしようとしなくても、もっと使い道は色々あるような気もするのですが。
初代サイコブレイクでルヴィクがレスリーの体を乗っ取ったように、STEM内で脳波が適合すれば(天文学的割合らしいですが)相手の体を乗っ取る事が可能なのであれば、80歳の老人が20歳の若者の体を手に入れる事も可能な訳です。
脳波の適合割合を人工的に上げる事が出来れば、古くなった体を新しい体に取り換えて「不老不死」も夢ではない。
もちろんそのためには犠牲となる若い肉体が必要になりますが、それはホラーな物語を作る上ではむしろ好条件かと。
実は具体的な続編の話が出る前に、もしキャストを一新した状態で続編を出すのであれば、STEMを「不老不死装置」として使ったストーリー展開もありなんじゃないかと思ってた時期があるんですよ。
目が覚めたら見覚えのない場所にいる。
謎の老人に付きまとわれながら、現実なのか夢なのか分からない不気味な世界を彷徨う内に、プレイヤーは少しずつ自分がどこにいて何に巻き込まれているかを悟って行く…みたいな。
ゲームの中の主人公はSTEMの存在を知らないけど、動かしているプレイヤーは知っている訳で、主人公よりも先にプレイヤーに状況を悟らせて心理的プレッシャーをかけていくスタイルになりますね。
「嫌な予感はしてたけど、やっぱりここってSTEMの中なんじゃね?」
「あの爺さん、もしかして俺の体を乗っ取ろうとか思ってんじゃね?」
”嫌な予感が現実になっていく恐怖”と言うのも、なかなかオツなものではないかと。
もちろん前作をプレイしてなくても、何も知らない主人公と一緒にゼロから謎を解いていく楽しみもありますし。
ラストはハッピー(逃げ切り成功)にしても、バッド(肉体交換によって自分が爺さんになってしまう)にしても、どちらにもそれなりの良さがあっていいんではないかと。
個人的にはバッドエンドの方が、後味が悪くて好みですが(笑)
正直これだけでも十分STEMの価値はあるし、メビウスの”上層部の方々”は喜ぶんじゃないかと思うのですが、どうもSTEMを大きく使おうとし過ぎて失敗しているような気がするのよなあ。
でもまあ…そうだな。
ゲームの中で大層な装置を作って、それを何に使うのか?となった時に「不老不死」が目的では、ちょっとスケールが小さいのかも知れませんね。
世界を揺るがすくらいの陰謀がないと、「奴らを止めなければ」という物語の切迫感が出ないのかも知れない。
◆シルエット・ロマンス
今作では冒頭からアドミニストレイター氏が顔出しされていたので、「おっ、ついにアドミンさんの本名が分かるか?ついでに身長・体重・年齢・好きな色・食べ物の好み・異性の好みなどが分かれば尚よし!」と思っていたのですが、結局何一つ分からなかったですね(笑)
エズメラルダに「陰険おやじ」と呼ばれているのが分かったくらいかな。
まあアドミンさんについて明らかになるという事は、すなわち「メビウス」について明らかになるという事なので、そう簡単には明かされないか。
DLCか次回作で、せめて名前と身長くらいは分かるといいなぁ…。
ちなみに私がアドミンファンな理由といたしましては
その1、体のラインが芸術的
その2、声が渋い
その3、眼の色が綺麗
その4、性格は冷酷だが、決断は早いしアンポンタンではなさそう(少なくともDLCでは…)
その5、キッドとの微妙な関係性
以上でございます。
その1 、に関してはツイッターでも語っておりますが、立ち姿が抜群に美しいんですわ。
目の前に190センチ以上あって、8.7頭身あって、手足が長くて、スーツをばっちり着こなしてるおっさんが立ってたら、無条件で「ほぇぇ、この人かっけぇなぁ…」と見惚れますって。
彫刻をみて美しいと感じるのと同じですよ。
要するに芸術なのであります。
このズボンの裾を絞った、タイトなシルエットの美しさよ…ボス、流石です!
後ろのSPさんも膝を伸ばした状態だと7.5頭身くらいあるので、別にスタイルが悪いわけではないのですが、手前のおっさんのスタイルが良すぎるのでもっさり見えますね。
アドミンさんは元のスタイルがいいのも勿論ですが、スーツの着こなしを含めた体のラインが本当に美しい。
初代DLCでは殆どがシルエットとしての登場だったので、影だけであってもプレイヤーの印象に残るように、相当スタッフがラインにこだわったんではなかろうか。
この人のスタイルのモデルがいるのならぜひ知りたいなあ。
体の動きもお偉いさんだからか、どこかゆったりと滑らかで優雅なんですよね。
ちなみに「もしあなたがサイコブレイクの世界に入ったら何がしたいですか?」と問われたら、私は間違いなく「アドミニストレイター氏に色々な服を着せて遊びたいです!」と答えます。
あの体格なら絶対何を着せても似合うと思うのだ。
ボスはいつも赤地に格子っぽい柄のネクタイを締めているので、たまには違うネクタイはいかがなもんでしょうかと作ってみた画像がこちら。
結局、作中で採用されていた濃い赤が一番似合うのかな。
濃い緑も、目の色とお揃いで渋くていいですね。
淡い色も悪くはないですが、悪役としてはちょっと爽やかになり過ぎですかね〜。
水色のネクタイのアドミンさんは、ユニオンの観光PR用ポスターに使えそうな感じだ。
アドミンさんのユニオン観光PR用ポスター…そう言うのもありか…。
その2 、声が渋い。
日本語版は初代DLCも今作も山野井仁氏が担当されています。
理知的でありながら、どこか柔らかい父性も併せ持ったいいお声。
英語版は初代DLCと2では声優さんが変わったみたいですね。
サイコブレイク2の英語版の配信を見ていて「あれ、もっと低くて感情のない冷たい声をしてなかったか?」と思ったのですが、気のせいではなかったようだ。
個人的に英語版は初代DLCの温度の低い声の方がアドミンさんらしくて好きだったなぁ。
その3 、眼の色が綺麗
ひとつ前に投稿したネタバレ感想「考察と妄想のユートピア」の中でも少し触れておりますが、百聞は一見に如かず
光の当たり方によってかなり色合いが違って見えますね。
アドミンさんは逆行を背負って現れる事が多いので、はっきりとした目の色が分かりにくいのよなぁ。
今作ではSTEMルームの青白い光を受けているせいか、全体的に青に近い色に見えていますが、真正面から光を受けているとかなり緑に近い色に見えます。
光の加減で刻々と色を変える湖のような瞳。
うん、やっぱり 見つめたい 見つめられ (以後略)
その4 、については、何だかんだ言っても3年でここまで研究を躍進させた実績は凄いと思うんですよ。
まあ今作では色々とアレな感じでしたが、基本上司が何をすべきかを明確にして指示を出して行かないと、下に優秀な人がいてもその能力を生かしきれないんですよね。
技術的に相当困難であろうSTEMプロジェクトを3年でここまで進めるには、必要な場所に必要な人材を置いて適切に仕事をさせないと無理なので、その点では評価できるのではないかと。
初代DLCではヒメネスへの突っ込みの切れ味は相当なものでしたし、STEMを私物化したルベンへの対応も、かなり強引ではあるけれども素早かった。
もっとも、その強引さがルヴィクというゴーストを生み出す原因ともなったのですが。
その5 、個人的にはわりとこれが大きかったりします。
初代DLCでの、キッドとアドミンさんのお互いに愛憎が混じったような、危うい関係性が好きだったんだよなあ。
最初にメビウスを求めていたのはキッドの方だった。
アドミニストレイターに「メビウスと組む覚悟は?」と聞かれて、迷いなく「覚悟はできています」と答えている。
コソ泥みたいな事をしながら必死で食いつないできた生活から、少なくとも人間らしい生活を与えてくれたメビウスへの感謝もあったし、任務を完璧にこなして上司であるアドミンさんに認めてもらいたいという思いもあったでしょう。
初期のキッドにはいかにも新入社員!という感じの初々しさがあるんですよね(笑)
STEMの中で自分も捨て駒に過ぎなかったと知る場面で、「I trusted you…」と発言しているので、キッドは組織に対してというよりも、アドミンさん個人に信頼を抱いていた感じなのかな?
これはアドミンさんが常に自分を「我々(we、us)」と、複数形を使って表現しているのとは対照的です。
一方アドミンさんはアドミンさんで、キッドに仕事をこなせとプレッシャーをかける一方で、君はもう我々の一員だよ、君の帰るべき場所は我々のいる所だよ(君の家族は我々だよ)、君の心の中の不安を我々が埋めてあげるよ…と、結構キッドを受け入れる発言もしとるんですね。
まあそれが飴と鞭の飴だったとしても、役に立たないと判断すればヒメネスやルベンのような専門知識を持つ研究者でさえ容赦なく切り捨てるのに、キッドに関してはしつこくまとわりついて説得しようとしていた。
死んでもいい捨て駒としてキッドを用意したのなら、そもそも最初から任務の完遂も期待はしていない訳で、その割には妙にキッドを命令に従わせることに執着していたなぁと。
彼自身、その執着を自覚していたかどうかは分かりませんが。
ラストでは「(君が今私をここで殺しても)もう君と私は永遠に一緒だよ」と、複数形ではない「I」を使っての告白めいたセリフまで飛び出しておりまして、何かしらアドミンさんとキッドの間には根源的な繋がりがあるような気配だったんですけどね。
決して赤い糸ではないが、細くて黒い糸がお互いの心臓を突き刺しているような。
アドミンさんはその糸を手繰り寄せようとして、キッドは断ち切ろうとした。
その二人の間のほんの僅かな「情」の揺れ、みたいなものが今作では綺麗サッパリ無くなってたのが残念。
それでもアドミンさんにはまだ少し揺れを感じましたが、キッドには全くと言っていいほど心理的な揺れを感じませんでしたね。
もう少し…そう、アドミンさんの死に対してだけでもいいから、揺らいで欲しかったなぁ。
ある種の揺らぎ→吹っ切って前へ進むまでの心の変化が見たかった。
ただ今回の脚本は、メビウスに対して「もう揺るがないキッド」を描きたかった節もあるので、まあ仕方ないのかも知れません。
◆勤続5年中堅社員
キッドがメビウスに加入した時期について少し。
フィルムを見ながらのセバスチャンとの会話の中で、キッドは「リリーは私が(メビウスに)入る前にさらわれている」と言っているのですが、同時に「メビウスに目を付けられる頃には、仲間になるか監獄行きしかなかった。成人したばかりの私にとって難しい選択ではなかった。組織に入って大分経つ…」と発言していて、ちょっと内容に矛盾が見られるんですね。
初代DLCでのキッドの年齢は27歳。
クリムゾン市警に捕まった彼女をメビウスに勧誘したのは、明示されてはいませんが恐らくマイラかと思われます。
キッドの台詞からするに、取り調べの際に勧誘を受けたようなので、キッド勧誘の時点ではまだマイラは刑事として働いていたことになりますね。
マイラがメビウスに潜入したのはリリーがさらわれた後なので、少なくともキッドがメビウスに入ったのはリリー誘拐後で間違いなさそうです。
時系列的には
2012年2月
リリーの誘拐(メビウスにより火事で死亡と偽装される)
↓
マイラがメビウスに潜入
↓
クリムゾン市警に捕まったキッドをマイラが勧誘
↓
2012年9月
マイラ失踪
↓
キッド、メビウスのエージェントとしてクリムゾン市警に潜入
(STEM内での任務にあたって「メビウスと組む覚悟は?」と意思の確認)
↓
2014年
ビーコン精神病院でのSTEM事故発生
なので、キッドが成人したばかりでメビウスに加入というのは、単なるミスか何か裏設定(キッドの過去の記憶が改ざんされてるとか)があるのかも知れません。
ちなみにアメリカでは州によって法律が異なるようですが、飲酒や喫煙が認められる年齢は21歳からの州が多いみたいですね。
しかしキッドとセバスチャンとの会話を掘り起こしてみて改めて思うのですが、やっぱり今作のキッドの一貫した”セバスチャンをサポートしてやってる”感はいただけないなぁ。
ぶっちゃけ自分たちの失敗(メビウスの失敗であり、同時にキッドを含む反メビウスチームの失敗)の尻拭いを”していただいてる”んですからね?
それこそセバスチャンに土下座してお願いしなきゃいけない立場なんですからね?
リリーを救うためとは言え、今回はむしろキッドたちの計画が失敗したから面倒な事になってる訳であって、「私がついてるから大丈夫」でなく、「私たちの失敗のせいでセバスチャンを再び危険に巻き込んでる」って事を自覚してくださいよと。
アドミンさんが「チャンスを与えよう」とほざいてるのは、もともと悪役ポジションでそんな性格だしね〜という感じなのですが、キッドにその手の勘違い発言をされると個人的になかなか辛いんですわ。
一応正義の味方であり、今作の副主人公とも言うべき立場ですからね。
◆次回作でもし逢えたら 素敵なことね
残念ながら今作でアドミニストレイター氏はお亡くなりになってしまいましたが、もう一度話に絡んでくる可能性があるとすれば、やっぱり”再起動されたSTEMの中で意識だけの存在になって”でしょうね。
一緒に死んだメビウスメンバーの意識も吸収して、果たされなかった理想に対する執念だけが増幅された存在になっていそうで、すごく………楽しみです(笑)
アドミンさんが意識の集合体としてSTEM内で復活するのであれば、必然的にキッドも引っ張り出されるだろうなあ。
今作ラストのSTEMの再起動によって、彼女の左手の傷がどうなったのか非常に興味深い。
”ただの傷跡”になったはずのメビウスの刻印が、また赤く浮き出すような事になっていれば…。
キッドには気の毒な話ではありますが、再び戦いが始まる合図ですね。
しかしバイオハザードのウェスカーのように、アドミンさんの肉体が復活することはもうないだろうなあ。
思えば初代バイオのウェスカーもアドミンさんも、似たような死に方をしておりますね。
どちらも「自らが誇った技術」によって殺されている。
ウェスカーはタイラントに、アドミンさんはSTEMに。
クリスやジル、あるいはキッドやマイラはあくまでもきっかけに過ぎない。
本質的には自滅なんですよね。
サイコブレイク3(The Evil Within3)が出るのであれば、やっぱり”狂気”を描いて欲しいなと。
今作のように、悪人だから(サイコパスだから)狂っているんですよ!ではなく、ごく普通の人間の中に巣くう”狂気”を描いて欲しい。
善悪では割り切れない人間の心の闇、題名のままの『The Evil Within(内なる邪悪)』を。
オニールが若干それっぽい描写をされていましたが、具体的にオニールの中にある「何」が利用されたのかがあまりはっきりとしなかったからなあ。
例えば「女にもてない」という劣等感だったりとか(笑)
ユキコ・ホフマンが好きだけど自分に自信がなくて告白できない、その弱さや鬱屈した欲望を利用された結果、彼の中の”狂気”を象徴するような姿のクリーチャーに変化してしまった…それくらいの描き込みがあってもよかったような気がします。
ステファノのオブスキュラは割と彼の狂気を反映したデザインになっておりましたが、ガスマスクはちょっと味気ない感じでしたね。
今作では、どちらかと言えば”ストーリー”が主役だった。
人間が”ストーリー”を進めるための駒として都合よく配置されているなぁと思う場面も多かった。
次回作ではぜひ”人間の狂気”を主役にして頂きたいと思う次第であります。]]> サイコブレイク2 ネタバレ感想 〜考察と妄想のユートピア〜 http://asatte.jugem.jp/?eid=752 2017-11-04T22:08:00+09:00 2017-11-09T06:19:01Z 2017-11-04T13:08:00Z この記事にはサイコブレイク2のネタバレが含まれます。
未プレイで結末を知りたくない方はご注意ください。
人間の脳に作用し、大勢の精神を一つに繋ぐことの出来る機械”STEM”。
様々な思惑を持った人間の精神や記憶が... あさって ゲーム この記事にはサイコブレイク2のネタバレが含まれます。
未プレイで結末を知りたくない方はご注意ください。
人間の脳に作用し、大勢の精神を一つに繋ぐことの出来る機械”STEM”。
様々な思惑を持った人間の精神や記憶が交じり合い、この世ならぬ異様な世界を作り上げていく…。
◆あさって氏、大幅に予想を外す
「サイコブレイクの続きが出るらしい」
「主人公は初代と同じくセバスチャン・カステヤノスで、火事で亡くなったと思っていた娘のリリーをSTEMから救い出す物語になる」
その話を耳にした時に「ほーん、2がルヴィクの話じゃないのなら、3がルヴィク復讐編になって、メビウス壊滅まで行くのかな?それで一応初代からの伏線は全て回収できるわな。4を作るかは需要次第、設定も引き継いでもいいし刷新してもいいし…みたいな感じになるんですかねぇ」と思ったんですよ。
しかしながら今作でメビウス壊滅まで進んでしまうとは驚いた。
脚本としてはかなり先を急いだ感じだなぁ。
そのせいで、と言っては何ですが、特にメビウス壊滅関連では都合よく事が進み過ぎていたように思いますね。
ちなみに私が事前に公表されていた設定から考えていた2のシナリオは、こんな感じでした。
〇リリーは生存してはいるが、火事で重症を負っていてほぼ脳死状態。STEMの中でしか自由に生活できない。
〇マイラはセバスチャンと出会う前からメビウスの一員で、STEMの存在を知っていた。火事で瀕死の娘をどうにか生かしてくれとメビウスに頼み込み、その代償としてセバスチャンの元から失踪してメビウスに仕えている。
〇STEM内では時間の流れが現実よりもはるかにゆっくりで、現実世界では3年だがSTEM内では90年くらいの時間が流れている。(メビウスの研究がたった3年で目覚ましい進歩を遂げたのも、STEM内の時間を利用したから。コンピューターのプログラミングならSTEM内で行っても支障がない)
〇リリーは自らの境遇を理解しており、自分の意思で失踪した。彼女は作り物の世界で終わりのない時を生き続けることが辛くなり、実体のないSTEMの世界を終わらせたかったのだ。
〇マイラがセバスチャンにメビウスの関与を知らせる資料を残したのは、セバスチャンをメビウスに引き寄せるため。彼女はSTEMの中であれば、元通り家族3人で暮らしていけると考えた。
〇STEM内でリリーと再会を果たしたセバスチャンは、最愛の娘から頼まれる。
「パパ、どうか私を殺して。私をここから解放して」
一方でマイラは言う、「ここでならばまた家族としてやり直せる。ずっと平和に暮らしていける」と。
決断を迫られたセバスチャン、果たして彼はどんな結論を出すのか…。
我ながら悪くないシナリオだと思うの、うん。
マイラとセバスチャンの確執の辺りは、少し実際のストーリー展開と似てる部分もあったかな。
ただSTEMから出る=リリーの死という前提があるので、実際のサイコブレイク2のシナリオよりもセバスチャンにとっては厳しい結末になりますが。
2の脚本は初代よりもセバスチャンに優しかったですね(笑)
◆「分かりやすさ」の光と影
初代サイコブレイクと比べると、2は非常にストーリーが分かりやすくなっています。
何が起こっていて、最終的に何を目指しているのか、が明確なんですね。
初代はとにかく意味不明な理不尽さがありまして、それが初代の怖さでもあり持ち味でもあるのですが、最後まで理不尽なまま終わってしまったからなぁ。
アクションにしてもかなりプレイヤーにストレスをかける仕様で(ある程度のストレスはホラーゲームとして計算の内なんでしょうが)、我慢しながらプレイしてきたのに、最後まで自分が何の為に戦ってたのか分からないとなればそりゃあプレイヤーも怒りますわ。
その点やっぱり初代バイオハザードはよく出来てましたよね。
あり得ない理不尽な恐怖から入って、徐々に謎が解明されていく。
ここで何が起こったのか、どうして起こったのか、そしてなぜ自分たちが巻き込まれたのか。
ストーリーが進むにつれて、少しずつ絡まった糸がほどけて真実が見えて来る。
起こっている現象が理不尽であればあるほど、人はその原因を知りたくなるものなんですよ。
初代サイコブレイクでは本編でその原因を回収せずに、長々と頑張って来たプレイヤーに「ああ、そうだったのか」というカタルシスを与えないまま終わってしまったのが、人によって評価が分かれる理由の一つだと思います。
純粋にアクションを楽しめる人には評価はそこそこなのですが、ストーリーを重視する人にとっては意味不明であると。
その反省を生かしてか、今作では非常に分かりやすいシナリオになっているのですが、うーん。
なんだろう、今度は分かりやすさを目指したが故に、わりと単純な勧善懲悪物語になってしまったような。
キャラクターの性格にしても、あなたいい人、あなた悪い人、みたいな分かりやすい区分けがされてしまってる気がしますねえ。
初代ではもっと人物の性格付けが複雑だったように思うんですよ。
主人公であるセバスチャンも皮肉っぽくて嫌な面があったし、敵役であるルヴィクやヒメネスにも複雑な背景があった。
特に小心者で凡人のヒメネス医師が、残虐な天才ルベンと冷酷な組織メビウスの間に挟まれてオロオロしている姿などは、傍から見ていてもののあわれを感じました(笑)
全てのキャラクターに善悪では割り切れないアクの強さがあり、人間としてのリアリティを生み出していたと思うんですね。
それがサイコブレイク2では、どうにも全体的に薄っぺらく感じるのよなあ。
ステファノにしても、特に目新しい発想ではないと言いますか、むしろ「死」や「血」を退廃的な美として捉える視点って、芸術の世界では結構メジャーだったりしますよね(…しますよね?)
飛び散る血しぶきを、スローモーションで赤い薔薇の花びらが散るようなイメージの表現にしていたりする辺りは、実際に人を殺しているという点以外は、普通にアートだと思うんですよね(…思いますよね?)
過去に何があって彼がそうなったかという背景もさほど描かれていないし、作品の中からその辺が見えて来る訳でもないし、ただお話の中にカメラを異常に愛する現在の彼がポンと置かれている感じで、初代の悪役ほど感情移入がし難い。
キッドにしても、DLCではあった心の揺れみたいなものがなくなって、完全無欠のスーパーキッドマンになってしまっているしなぁ。
ハンドガン一丁で、防護服を着てマシンガンを持ってるメビウスのセキュリティを複数人倒したのには笑ってしまった。
いやぁ、流石にそれはないだろうと。
DLCではその幻影に苦しめられた絶対的な上司、アドミニストレイターの最期に対しても、さらっと「いい気味」程度で終わっていて、DLCでの”反発しながらも、どこか根源的なところで理解し合っているような不可解な関係”が好きだった私としては残念でした。
DLCラストでのアドミニストレイターの「私はずっと君と共にある…永遠に」という台詞、そして現実に戻ったキッドの声に重なった彼の声。
そこら辺の伏線は回収されないまま終わるのかなぁ。どこかで回収して欲しいなぁ。
それから冒頭で銃を向けたセバスチャンに対して、キッドが「再開した時、銃を向ける代わりに感謝して欲しいくらいだったわ」と言い放っておりますが、うん。
勝手にリリーを誘拐しておいて、勝手に被験者にしておいて、いざトラブルが発生して自分たちの手に負えなくなったら「娘を救えるチャンスをやるんだからありがたく思え!」って事ですか?
キッドは自分がメビウスサイドの人間である事を理解していないんだろうか。
しかもセバスチャンがそこに同意してるのが恐ろしい。
こう言ってはなんですが、キッドの思考回路って根っこの部分でアドミンさんと似てるんじゃないかと思ったり。
セバスチャンの過去の克服も、私にとっては今一つしっくり来ませんでした。
「俺は何も悪くない」で開き直り方式だったのがね…。
確かにリリーがさらわれたのはメビウスのせいで、セバスチャンのせいではない。これは確か。
でもそれまで仕事にかまけてあまり家庭を大事にできなかった事と、リリーの一件でメビウスの関与を訴えたマイラの言葉を一方的に「混乱してるせいだ」と決めつけ、耳を貸さなかったのは他ならぬセバスチャンのせいなんですわ。
その2点に関しては「俺は悪くない」とは言えないはずなんですよ。
そこを開き直るのは、過去を乗り越えたんじゃなくて単に認めることを放棄しただけじゃないかと。
確かに俺は悪かった。でも過去をどれだけ悔やんでもそれは俺個人の自己満足でしかない。罪悪感の中で過去に浸ってる暇はない。過去を悔いるのなら、今現在を変えて行くしかない。どれだけリリーに恨まれようと、マイラに罵られようと、俺はそれを受け入れる。その上で今度はこの身に代えても彼女たちを守る、絶対に。
これが”克服する”という事じゃないのかね?
「俺は悪くない」からの、セオドアの「過去を乗り越えたのですね」は、個人的に微妙な展開でございました。
マイラも初代やDLCでの「謎の女」「鉄の女」感が綺麗さっぱりなくなって、良き妻・良き母、娘を思うあまり少し暴走してしまったけれど、母性本能溢れる正義の人になってましたね。
マイラのキッドに対するいかにも切れ者って感じの、事務的な冷たさが好きだったんだけどなあ…。
こちらも単純に「いい人」の枠に押し込められていて、初代のマイラにあったある種の胡散臭さ…信用していいのかどうか分からない底の見えなさが消えていたのが残念。
オニールなんかは割とリアリティがあったかな。
悪気はないけど、ナチュラルに人の心の機微に鈍感な理系青年。
セバスチャンに開口一番「死んでなかったんだぁ?」と言い放つ空気の読めなさ。
いい人でもなく、かといって悪人と言うほどでもなく。
日常生活ではその性格故に敬遠されがちなんだろうなぁ…とか、実際にプログラマーにはオニールみたいな人が多そうだなぁ…とか、背景が想像できる微笑ましい?キャラでした。
セオドアも「うわ〜、善人ほど強く持っているであろう罪悪感に付け込んでくるとは、あんた相当質が悪いですな」と思える嫌らしさがあって良かったんじゃないかと。
某所でも書きましたが、歪んだ嗜好を隠そうともせず(隠す必要すら感じず)、ただ己の美意識のままに芸術を楽しんでいるステファノよりも、どす黒い悪意を「善」の仮面で覆い隠し、人の心の弱みを利用して操ろうとするセオドアの方が本来のサイコパスのような気がしますね。
どうもセオドアの心の底には、非常に強いコンプレックスみたいなものがあるんじゃないかなぁ。
顔の傷がその理由かも知れませんが、特定の誰かではなく、自分以外の人間を全て憎んでいるような印象を受ける。
お前らを踏みつけて上に立ってやる、という復讐心みたいなものを感じますね。
その点、アドミニストレイターにはその手の歪んだコンプレックスはあまり感じませんね。
彼の場合は何の迷いもなく自分は偉いと思ってますから(笑)
全方面に向けて平等に冷酷であり、どんなに忠実な部下であっても必要であれば平気で切り捨てる。
彼にとって一番大切なのは「STEMによって実現される人類の理想」であって、そのための犠牲は何とも思わないんでしょうね。
その彼が唯一謎の執着を見せたのがキッドでして、今作でもさっさとリモコンのボタン押していれば効果がないことが分かったでしょうに、結局最後までキッドを殺し渋ったせいで止められなかった。
己の恨みと欲で動いていたセオドアよりは潔癖な人物と言えるのかも知れませんが、正直言って極端な理想主義者は欲で動く人間よりもある意味厄介で危険なんだよなぁ…。
]]> 続・カヤパとゆかいな70人の仲間たち http://asatte.jugem.jp/?eid=751 2013-11-15T01:31:00+09:00 2013-11-15T08:19:29Z 2013-11-14T16:31:00Z 少しJCSアリーナツアーのポスターっぽい雰囲気に仕上げてみました。背景は自由劇場です。夜の自由劇場は、灯りの反射が本当に美しいですね。と言う事で、『ジーザス・クライスト=スーパースター』日曜のマチネを観劇して帰って来ました。twitterでも書いていま... あさって 観劇 少しJCSアリーナツアーのポスターっぽい雰囲気に仕上げてみました。 背景は自由劇場です。 夜の自由劇場は、灯りの反射が本当に美しいですね。 と言う事で、『ジーザス・クライスト=スーパースター』日曜のマチネを観劇して帰って来ました。 twitterでも書いていますが、日曜は神永ジーザスが飛躍的によくなっていた。 前日の土曜の舞台を観て、「言葉が軽い」と思ったのですが、日曜マチネは一つ一つの言葉を、非常に丁寧に話されていたように思います。 ジーザスの心情が言葉となって、外に流れ出しているように見えた。 別に何が大げさになったわけでもなく、ほんの僅かなニュアンスの変化だと思うのですが、しかしやはり自分の言葉をよりよく伝えようという意識は、受け手に伝わるものなんだなと。 この日のジーザスは深く穏やかで、ある種の威厳を漂わせていたので、最後の晩餐の場面の人間的な弱さがより際立って感じられました。 威厳と言う衣を脱いだ、地面に這いつくばる普通の人間としてのジーザスが、これまで以上に小さく無力に見えましたね。 ああ、この人はこんなにも小さかったんだな・・・と。 神の教えを説く指導者としての威厳あるジーザスと、一人の人間としてのジーザス。 この二つの顔がそれぞれきっちりと表現されていると、この物語が持つ悲劇性がより際立つ。 ピラトが発する「愚かな殉教者よ、死にたいか哀れなやつ!」という台詞そのままに。 ちなみにピラトがジーザス処刑に踏み切った理由として、ローマの中間管理職というピラトの立場と、カヤパ達サンヘドリンとの微妙な力関係があげられます。 ピラトはあくまでもローマ皇帝からユダヤ地方の統治をまかされた役人であり、なるべく避けられるトラブルは避けたい訳ですね。 ピラトから見れば、目の前のジーザスはローマへの反乱をたくらむような人物には見えず、カヤパ達が主張している「ローマ反逆罪」に該当する具体的な行動もない。 何と言っても”No riots, No army, No fighting, No slogans”ですから。 ローマの法律に照らし合わせれば、カヤパ達が主張する罪状は明らかに不当なこじつけなのですが、かと言ってカヤパ達は判決を取り下げる気はなく、ピラトの判断如何では厄介な問題に発展しかねない状況だった。 ピラトがヘロデに判断を押しつけたのは、まぁ言ってみれば責任転嫁と言いますか、厄介事から逃げた訳です。 ユダヤ人の事はユダヤ人が解決しろ、と。 しかしヘロデはあんな感じ(・・・・・。)の人物だったので、結局ピラトが最終判断を下さざるを得なくなった。 先にも書いたとおり、ピラトには3000の兵がありましたが、しかし異なる民族の土地を円滑に統治する為には、その民族の権力者による協力が欠かせません。 力だけで異民族を治めることはできない。 ジーザス一人を救うために、カヤパ率いるサンヘドリンやヘロデの意向を無視して、関係を悪くする事はピラトにとって得策ではないんですね。 そういう意味では、ピラトとカヤパの利害は一致しています。 つまり「ユダヤ地方の安寧を保つ」という意味で。 ピラトは、個人的な心情(法を曲げて無実の人間を処刑する事への逡巡)と、政治的・合理的判断との間で、また支配民であるカヤパ達と、ローマ皇帝から与えられている任務との間で板挟みになって苦悩しているのであり、この辺は現代の中間管理職にも通じるところがあります。 村ピラト、高音がスコーンと伸びるのは、やっぱり聴いていて気持ちがいいなぁ。 ただ個人的には、これは高井カヤパにも思ったのですが、全体をとおして少し感情的に演じ過ぎている・・・それもかなり目先の単純な感情の動きを重視した役作りをされているように思いました。 それが悪いというわけではないのですが、個人的にピラトやカヤパのような支配層には、「立場」と「時代」を背負った演技を見せて欲しいというのがありまして。 高井カヤパもしかり。 前にも書いたとおり、庶民的で分かりやすい悪人・・・なのですが、欲を言えばもうちょっと冴えた知性と言うんですかね、単に己の感情だけで動いているのではない、サンヘドリンのトップであるカヤパの怜悧さみたいなものを見せて欲しいなと。 ローマを本気で怒らせるという事は、カヤパ達の進退にとどまらず、民族の存続にすら関わる大問題なんですよ。 寄せ集めの素人が武器をとった所で、ローマの軍事力(シリア総督は6個軍団を配下におさめていた。1個軍団の兵力は、軍団兵5000+補助兵5000程度)に敵うはずもなく、最悪の場合民族の滅亡もあり得る。 それくらいどうにもならない「力の差」が、当時のローマとユダヤの間にはあったんですね。 サンヘドリンが細々と守ってきたユダヤ民族の自治を、腹の足しにもならない理想論で民衆を煽り、揺るがそうとしている男がいる。 熱狂した群衆が反ローマの暴動を起こして収集がつかなくなり、ローマがそれを”造反”と捉えた場合どうなるか。 ジーザスの処刑から役40年後、西暦70年に起こったユダヤ戦争では、60万人以上のユダヤ人が殺害され、エルサレム神殿は燃やされ、サンヘドリンは廃止、神殿への奉納金はローマに奪われ、エルサレムには1万人からのローマ軍が常駐することとなりました。 救世主などと言う幻想を信じている群衆とは違い、カヤパには現実が見えていた。 しかし今の高井さんのカヤパを見ていると、どうにも怒りが単純と言いますか、見えてる範囲が狭いと言いますか、カヤパ自身もあまりその深刻さを理解しているようには見えないんですね。 確かにカヤパには感情的な一面があったかも知れませんが、しかしそれ以上に冷静で、ある意味有能です。 ピラトと自分たちの力関係を正確に把握し、ピラトが動かざるを得ない状況をつくってジーザスを処刑に追い込んだ。 まあほとんど言いがかりに近い「ローマ反逆罪」ではあるのですが、一応当時の法律に則ってジーザスを裁いているんですよ。 サンヘドリンの議員の中には、ジーザスに理解を示す者も少なからずいたらしいのですが、事前の根回しにより議会の意思の統一を図った。 全ては筋書き通りであり、暗殺などの超法規的手段は採らない(相手側に僅かな正義も与えてはならない)所が、カヤパの賢い所だと思います。 目先の感情で動いているだけなら、それは群衆と同じです。 カヤパは群衆であってはならない。 あくまでもその上に立つ存在ですからね。 大局を見通した上での非道、合理的判断としての非道みたいなものを、どこかに感じさせて欲しいなぁ。 冷たい頭の良さ、指導者としての徹底したリアリズムを。 ちなみに当時のユダヤ情勢について、色々と知った風な顔をして書いておりますが、実はほとんど「やる夫がキリストになるようです。」 からの受け売りです、グホッ、ゲフッ。 作者様独自の解釈も多く含まれるようですが、しかし実際の聖書の記述を挙げながら「このように解釈しました」と書いて下さっているので、読み手も解釈は解釈として物語の成り行きを楽しむ事ができます。 もうこの話の中に出てくるカヤパ様の素晴らしい外道っぷりと言ったら、グゥの音も出ません(笑) 「あなたはこの物語を、どう捉えますか?」という作者様の問いかけが聴こえて来るような、やる夫スレ屈指の名作。 ぜひ一度読んでみてください。 さらに続く・・・かも。 ]]> カヤパとゆかいな70人の仲間たち http://asatte.jugem.jp/?eid=749 2013-11-09T20:30:00+09:00 2013-11-10T14:16:52Z 2013-11-09T11:30:00Z と言うわけで、ただいま東京は汐留におります。『ジーザス・クライスト=スーパースター』鑑賞 兼 『モローとルオー −聖なるものの継承と変容−』鑑賞 兼 将棋日本シリーズJT杯決勝(久保利明JT杯覇者VS羽生善治三冠)観戦を兼ねた東京遠征だったのですが、JT杯はどう... あさって 観劇 『ジーザス・クライスト=スーパースター』鑑賞 兼 『モローとルオー −聖なるものの継承と変容−』鑑賞 兼 将棋日本シリーズJT杯決勝(久保利明JT杯覇者VS羽生善治三冠)観戦を兼ねた東京遠征だったのですが、JT杯はどうにも時間的な問題がありまして、新幹線の中で棋譜中継をチェックすることになりそうです。 決着がつくまで観戦してたら、おそらく帰宅が深夜になってしまうんだよなぁ・・・残念だ。 しかし月曜日から当番勤務なので、あまり無理はできないのでありますよ。 で、本日マチネ・ソワレと続けてJCSを観劇して来ました。 うーん、うーむ、なんだ。 群衆の迫力がないですなぁ。 誰も苦しんでいないし、怒ってないし、救いを求めていない。 ちょっと変わった「世界を変えよう!」サークルにでも参加しているかのような緊張感のなさ。 抑圧され不満を持ち、尚且つ自分たちが正義と信じる人々が集まった時に発生する、あの狂気を孕んだ独特のエネルギーみたいなものが、全く感じられないんですね。 集団というものが持つ、厄介で危険なパワーが感じられない。 なもんだから、一人冷静な視点を持って、狂乱を苦々しく眺めているはずのユダの存在も、何だかあまり浮き上がって来ないし、カヤパたちの怒りや焦りも、微妙に空回りして見えてしまうんですわ。 私がスパイのパリサイ人だったら「カヤパ様ご安心ください。こんな腑抜けた集会では、深刻な暴動など起こるはずもございません」と報告するね。 改めてこの作品における”群衆”の重要さを痛感した次第であります。 ユダやジーザスのドラマを支える、大切な土台なんですなぁ。 そしてお初にお目にかかる神永ジーザス。 うーむむむ、声質の影響もあるのかも知れませんが、全体的に言葉が軽いという印象を受けました。 一つ一つの言葉が、あまり説得力を持って胸に響いてこないんですね。 よく言えば庶民的で等身大、我々の傍に存在する目立たない隣人としてのジーザスなのですが、悪く言えば平凡で深い思索が感じられず、カリスマに欠けるジーザスだったように思います。 ただその分、ユダやペテロの裏切りを予見して嘆く辺りは、一個人としてのジーザスの悲しみがよりリアルに響いてきました。 傾向としては、少しJCSアリーナツアーでジーザスを演じていたベン・フォースター氏のジーザスと似ているかも知れない。 どうすれば自分の言葉に重みを持たすことができるか・・・は本当に難しい問題だと思うのですが、とりあえずは「セリフ」ではなく、自分の頭で考え、自分で導き出した結論としての「言葉」にしていくより他にはないのではないかと。 ジーザスが発する言葉は、聖書から引用されている事が多いのですが、どのような背景を負って、どのような気持ちで、どのような意味でこの言葉を発したのだろうか。 言葉は音であると同時に意味でもある。 言葉の中に含まれる意味を、もう少し深く掘り下げてほしいですね。 まさにその意味を伝えるために、ジーザスは己の命を懸けたのですから。 お久しぶりの芝ユダ。 高音はかなり厳しそうでしたし、昔と比べると声量も落ちているように思いますが、実は個人的には今の芝さんの演技のほうが好きかも知れない。 以前拝見した時は(福岡公演から東京公演の流れだったと思うので、2004年ですかね)、少し物理的な叫びに頼りすぎていて、肝心のユダの心の中の声はあまり聴こえてこなかったように記憶しているんですよ。 今回は声こそ苦しそうではありますが、なんと言うんですかね、ユダの胸の中に溢れているしょっぱい感情が、手に取るように伝わって来ました。 シサイダーズ(※司祭の皆さん)にジーザスを売った後の最後の晩餐のシーンなどは、観てるこちらの心までキリキリと痛んで、思わず顔をしかめてしまうほどに。 もし、今でも高音シャウトが健在で、歌でグイグイ押すことが出来たならば、ひょっとしたらこのしょっぱいユダは生まれていなかったかも知れない。 高音が思うように出なくなって、初めてその裏側に隠れていたユダの内面が出てきたのだとすれば、これはある種の示唆となるのではないかな・・・とふと思いました。 つまり、上手く行かない時だからこそ、見えて来るものがあるのだ、という意味で。 もっと言えば、上手く行っていない時にしか、見えないものもあるのだ、という意味で。 だから「上手く行かない」という事を、むやみに恐れてはいけない。 その中に立ち止って目を凝らすことで、普段は見えない何かを見つけることができるかも知れないのだから。 こちらもお久しぶりの高井カヤパ&初めましてのシサイダーズ。 個人的にアンナスは、この作品には貴重な癒し系ではないかと思うのであります。 面白いよアンナス、声が高いよアンナス、何だか知らんが笑いがこみあげてくるよアンナス! そしてこの大昔に作ったJCS素材を、自ら使える日がくるとは感動でございます、カヤパ様。 ユダがカヤパ・アンナスコンビに挟まれて引っ張られる所なんざ、思わず「ユダよ、お土産代の3000円やるからその場所代わってくれ」と言いそうになりました。 高井カヤパは以前に拝見した時のように、いかにも冷血・冷酷なカヤパという感じではなかったですが、しかし全体を通してどこか庶民的悪人?を貫いていて、演技のバランスは悪くなかったのではないかと思います。 ちなみに福音書によると、カヤパ様はジーザスの「エルサレム神殿を壊してみるといい、三日で建て直して見せよう」という発言を取り上げ、自分の衣服を切り裂くほどの怒り(どんな怒りやねん・・・)でもってジーザスへの極刑を主張したとか。 しかも裁判の前に、すでにジーザスには暴行を受けた形跡があったりと、どうもこの人、冷静そうに見えて意外と感情的なおっさんだったのかも知れませんね。 ただ当時の大司祭カヤパ・・・と言いますか、サンヘドリン(ユダヤの最高法院。議長・副議長を含め71人の議員で構成される)には、死刑の執行権はなかったので、判決そのものは死刑執行権限を持つユダヤ属州知事ピラトに出してもらわなければなりませんでした。 この辺はカヤパが歌ってますね、我々には死刑執行の権限がない、と。 「神殿を三日で〜」の発言になぜカヤパがそれほど怒ったのかについては、当時のエルサレム情勢に理由があります。 西暦30年代のユダヤの支配体制は、大きく以下のように分かれておりました。 <ユダヤ知事ピラト> ローマ帝国の中間管理職で、ユダヤ地方を統括する任務を負う。 反ローマ的運動に対しては極刑をもって対応する事ができる。 ちなみにピラトは州都に3000人の兵力を持っており、さらにピラトの上司であるシリア総督は、6万人を超える兵力を配下に収めていた。 <大司祭カヤパ率いるサンヘドリン> ユダヤ人の祭司階級と学者階級から構成され、 ローマ帝国のユダヤ知事から制限つき自治(※)を認められている。 ユダヤ人の法律「律法」に反する者を裁く権利があるが、死刑執行権はない。 ※信教の自由、安息日の継続、軍務などのローマ帝国の公職免除、法執行の自由(死刑を除く)、エルサレム神殿への奉納金と神殿税の許可 <ヘロデ・アンテパス王> 北部のガリラヤ地方など一部の地域を支配する。 ガリラヤ領土内では、王の権限によって死刑にすることができる。 洗礼者ヨハネ(死ぬのだヨハネと同じだ〜♪のヨハネ)はこのヘロデ王によって処刑された。 ここで重要なのは、ユダヤ民は神殿税という名目で、独自の財源を持っていたという事です。 これはとても重要です。 自由に使える財源なくして、自治は成り行かないからです。 サンヘドリンは、エルサレム神殿の権威を守り高める事によって、民族の結束をより強固なものとし、また信仰心をお金という形で変換することにより財源を得ていたわけです。 つまり金銭面においても精神面においても、エルサレム神殿は重要な「偶像」であり、その威信に傷をつける者は何人たりとも許されなかったんですね。 そう言う意味では確かにジーザスの教えは、ユダヤの自治権を揺るがしかねない危険なものだったのだなぁ・・・と思います。 お初にお目にかかる北澤ヘロデ。 非常に見目麗しいヘロデ。 北澤さんがもともと持っているナルチシズムが、悪くない感じで役に溶け込んでいるんじゃないですかね。 ただ今はまだ少しどっちつかずな感じなので、もうちょっと馬鹿なオネエ系?に徹してみてもいいんじゃないかと。 一見華やかだけど、毒の効いたきっつい皮肉を振り撒く「薔薇の香りのする毒薬」。 思い切って匂いをきつくしてみるのも一興かと。 えーと後は・・・野村マリア。 歌は不安定な部分もありますが、柔らかく伸びるところでは、美しく響いていたと思います。 そして「私はイエスがわからない」はやっぱりうまい(笑) 経験豊富な娼婦ではあるけれども、今までにはなかった感情に揺れる心。 これは何だろう、この感情は?という戸惑い。 娼婦でありながら、同時にどこか処女性を持ち合わせるマリアの、複雑な心の機微が丁寧に表現されていたと思います。 この辺の酸いも甘いも噛み分けた淡い味付けというのは、ベテランの技ですね。 続く・・・かも。]]> 紅い夕日浴びて http://asatte.jugem.jp/?eid=748 2013-09-29T14:55:00+09:00 2013-09-29T06:47:45Z 2013-09-29T05:55:00Z 東京から帰る途中、新幹線の車窓からの夕景。春のぼんやりと柔らかい夕暮れも好きだったりするのですが、秋の鮮烈な夕暮れも美しい。〜秋は夕暮れ〜千年以上も前から、時代が変わっても場所が変わっても、そこで生きる多くの人が見つめて来たであろう夕日を追いかけながら... あさって 観劇 春のぼんやりと柔らかい夕暮れも好きだったりするのですが、秋の鮮烈な夕暮れも美しい。 〜秋は夕暮れ〜千年以上も前から、時代が変わっても場所が変わっても、そこで生きる多くの人が見つめて来たであろう夕日を追いかけながら、西の我が家に帰って来ました。 23日の『李香蘭』の舞台に関しては、既にTwitterの方でも色々と書いているのですが、実は途中まではあまりいい出来だとは思っていなかったんですよ。 皆さんちょっと頑張り過ぎと言いますか、オーバーアクション気味で、その時代を生きた普通の人々と言う感じがせずに、作りものっぽくなってしまっていたんですね。 「きけ わだつみのこえ」から引用した辞世の言葉を述べるシーンも、少し台詞を立てているなぁと思う部分がありました。 このシーンに関しては(特にこのシーンに関しては)、「どう表現するか」「どう感動的に聴かせるか」と言う自我を捨てて欲しいのですよ。 彼らは実在した人間であり、そして実際に戦争により命を落とした人々です。 特攻隊員として、あるいは戦犯として処刑された方の辞世の句も含まれていたと思いますが、最も尊ばれるべきは、言葉の中にそのまま綴られている彼らの想いであり、そこに余計な感傷や装飾は不必要であると思います。 ”そのままを伝える”と言う事を大事にしてほしい場面ですね。 ただこれもTwitterで書いておりますが、この日はラストの法廷のシーンがよかったんですわ。 それまでのややハイテンションな流れが、ここへきて物語の中の憎しみ渦巻く状況と合致したと言いますか。 まるで怒りのはけ口でもあるかのように処刑されていく人々。 その怒りの中央に立ち、命を懸けて自分の本当の想いを理解してもらおうと努める李香蘭こと山口淑子。 香蘭は中国人です。私の妹のような娘。 香蘭は日本人です。私が証言します。 この愛蓮の矛盾する二つの台詞が、李香蘭と呼ばれた一人の女性の立場を、何よりも雄弁に物語っているのかも知れません。 自身に向けられる憎しみや怒りを、無知ではあったけれども偽りない二つの祖国への愛情で押し返そうとする、そのギリギリの緊迫感に、観ているこちらも思わず手に汗を握りました。 ここで「命が懸かっている」事を肌で感じられるからこそ、次の裁判長の赦しの歌が、よりリアリティを持って心の中に響いてくるのでありまして、そういう意味では、やはりこの場面での野村さんの存在感は凄いなと。 現代を生きる私たちには、なかなか「命が懸かる」なんて雰囲気出せませんよ。 で、前回はその命の重みに対して、裁判長である高井さんの歌が、やや小さくまとまってしまっているなと思ったのですが、今回は観客も含めた一人ひとりの心に、寛容という小さな灯をともす事に成功していたと思います。 戦争が誰の心の中にもある憎しみを呼び起こしたのであるとすれば、裁判長の歌は誰の心の中にもある、愛情や思いやりを呼び起こすものであったのだな、と。 私の心の中にあった尖った感情が、何とも言えない悲しみに姿を変えて、歌と共に洗い流されて行きました。 濁った水が、一滴の薬品を落とす事よって瞬く間に澄んで行くような、不思議な瞬間でしたね。 高井さんの歌声には、何やら心の中に入り込んでくるような、妙な力がありますなあ。 聴く人の心の中に、語りかけてくる何かがある。 たとえ高井さん自身がどうであったとしても・・・ごくごく普通の弱く迷える一個人であったとしても、舞台の上で役を生き、その思想を歌として伝えることで、多くの人にカタルシスをもたらす事ができるという事を忘れないでいて欲しいですね。 高井さんが舞台に立つ事、舞台の上で歌う事には、必ず某かの意味があるのだと言う事を。 つづくかも。]]> ようやく http://asatte.jugem.jp/?eid=747 2013-09-17T00:20:00+09:00 2013-09-16T16:22:29Z 2013-09-16T15:20:00Z 家に到着しました。いやはや、ある程度覚悟はしていましたが、新幹線の中に4時間半缶詰になった挙句、JR神戸線の新快速・快速は壊滅状態で、普通すら遅れているとは予想外でございました。しかし22時の新大阪駅で、キャリーバッグを抱えながら長蛇の列を作っていた人... あさって 観劇 家に到着しました。 いやはや、ある程度覚悟はしていましたが、新幹線の中に4時間半缶詰になった挙句、JR神戸線の新快速・快速は壊滅状態で、普通すら遅れているとは予想外でございました。 しかし22時の新大阪駅で、キャリーバッグを抱えながら長蛇の列を作っていた人たちと比べると、かなりスムーズに帰れた方なのではないかなと思いますね。 『李香蘭』の2日目、昨日と比べると全体的にまとまっていたのではないかと。 特に昨日は少し歌や動作にバラツキの目立った関東軍が、今日はまあ気にならない程度には揃っていたかなと思いますね。 しかし軍人さんなので、もっとビシッと揃わんかなぁと言うのが本音だったり。 恐らくちょっとした体の動かし方のコツや揃え方のコツで、もう少し見た目の印象をシャープにする事ができると思うんですよね。 全ての動作を揃えるのは難しいとしても、「ここ!」というポイントを揃えることで、流れがちなダンスにメリハリを付けることができる。 振付さん、リハーサルでそこんとこどうぞよろしくたのんます! ラストの法廷のシーンは、どちらかと言うと昨日のほうが勢いがあったように思います。 野村さんの歌も、昨日のほうが何と言いますか、真に迫っていた。 しかし、出演者全員の強い感情、そして観客全員の息をのむような注目を浴びながらも、舞台の中央でただ「李香蘭」として在る事ができるのは、やはり凄いなぁと思いますね。 自分は何者であるのか、自分は何者であったのか。 よっぽど自分の中に強く李香蘭=山口淑子というアイデンティティを持っていないと、周囲の迫力に押し流されてしまいますわ。 李香蘭と言う役は、もう野村さんの人生の一部になっているのかも知れないなと思った瞬間でありました。 高井裁判長の歌は、今日のほうが安定していましたかね。 テンポの揺れも少なく、昨日と比べるとやや父性を感じる歌唱だったと思います。 がっ、やっぱり今一つ声が伸びていかないと言うか、歌が広がって行かないと言うか。 どうも裁判長の歌唱を見ていると、少し体が浮き上がっているように見えるので、もう少し重心を下げて歌った方が、客席には届きやすいかも知れない。 高井さんはもう2〜3キロぐらい体重を増やした方がいいかもなぁ。 ちょっと体を絞りすぎなんじゃないかと。 単純に太れ・・・と言うのではなく、体重を増やす。 声もそうですが、音というのは「振動」なので、ある程度重みがあった方が安定するんですよ。 紙相撲で例えると分りやすいかも知れませんが。 良質のタンパク質、食物繊維、後は乳製品なんかもいいかな。 役者は体が資本なので、頑張って体づくりをしてください。 ・・・・・ま、私はあと2キロぐらい痩せねばならんのですけどね、ええ。]]> やだ・・・このアンパンマン http://asatte.jugem.jp/?eid=746 2013-09-15T21:52:00+09:00 2013-09-15T14:43:48Z 2013-09-15T12:52:00Z 恰好いい・・・・。
いや、2か月以上も音信不通で、いきなりこのネタかよという向きもあるかも知れませんが、まあなんだ、私にも色々と事情があるわけですわ、ええ。しかしこのずん丸い顔して、こんなキビキビしたダンス踊られたら、私なら間違いなく腹抱えて笑うな。着... あさって 恰好いい・・・・。
いや、2か月以上も音信不通で、いきなりこのネタかよという向きもあるかも知れませんが、まあなんだ、私にも色々と事情があるわけですわ、ええ。 しかしこのずん丸い顔して、こんなキビキビしたダンス踊られたら、私なら間違いなく腹抱えて笑うな。 着ぐるみを着て、いとも軽やかに足が頭まで上がってるのが凄い。 隣の女性の身長から考えると、中に入ってる人は女性なのかなと思わなくもないのですが、膝の内側の筋肉とかわりとすごいからなぁ。 小柄な男性なのかも知れませんね。 ちなみに動画の真似して踊った結果、足を上げた瞬間に股関節から「ゴキッ」という不気味な音が聞こえて来たので、そこでやめておきました、はい。 そしてこちらもいきなりですが、ただいま東京におります。 果たして明日、新幹線が動くんだろうかという不安を抱えつつも、観て来ましたよ『李香蘭』を。 やはり演目が演目だけに、客席の年齢がやや高めだったように思います。 1991年の初演から、もう20年以上経っているのこの作品、その間に世界を取り巻く情勢は色々と変化し、ぶっちゃけこの作品の中で語られている状況とは食い違う部分や、首をかしげてしまう部分も無きにしもあらずだったりするのですが(日本はただのおせっかいや、権益のためだけに大陸に進出した訳ではない)、様々な夢が生まれ潰えて、やがて歴史の中に飲み込まれて行く過程を追うことで、小さな時間旅行を体験したような不思議な気持ちになりました。 名も知られずに生き、名も知られずに死んでゆく、人間一人一人の存在は、大きな歴史の中では塵芥のようなものなのかも知れない。 例えば私が今死んだとしても、世の中は何一つ変わらず進んで行くだろうし、多くが生まれ多くが死に、その繰り返しがこれからも続いて行くという点では、いわゆる個人の喜怒哀楽というものは、それ程意味を持たないのかも知れない。 しかし、我々は単なる塵芥ではなく、何と言いますか「考える塵芥」なんですよね。 フランスの思想家ブレーズ・パスカルの「人間はひとくさの 葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。(中略)たとえ宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」 という有名な一節をふと思い浮かべました。 塵芥として死んでいった人々の思想を、現代を生きる塵芥である私が受け取り、そこにまた新たな思想が生まれる。 うん、やはり人間は考える塵芥であり、非常に尊い塵芥であるのだなと思った次第であります。 しかしなんだ、現代のシリア情勢などを見ていても思うのですが、やっぱり引き際ってのは大切ですよねぇ。 パフォーマンスはパフォーマンスとして、裏で現実的な解決策を探るのは外交の基本であり、現実に存在する問題に対処せずして、”聖戦”という大義に振り回されてしまっていては、本末転倒ですわ。 どのような状況になったとしても、必ずどこかに命綱(シリアで言えばロシアの存在ですが)は残しておく。 これは重要ですね。 で、役者さんに対する感想ですが、樋口さんの川島芳子は、体型的にも声質的にもやや線が細いと言いますか、歴代芳子の中では女性らしい芳子だったように思います。 なもんで、どうしても軍人的キレの良さや気風の良さ、迫力という点では、少し物足りなさを感じました。 秋さんの愛蓮は、前回と変わらず穏やかで落ち着いた声と演技で良かったのではないかと。 中国の広い大地を思わせるような女性ですね 李香蘭の野村さん。 一時に比べると、喉の状態は若干よくなっているのかな。 ただ後半になってくるとどうしても疲れが出るのか、特に低音が出にくく不安定になりますね。 それでこのスケジュールになっているんだろうな、と。 でも今日の最後の法廷のシーンは、その不安定さが気にならないくらい、淑子としての感情のすべてが詰まった力強い歌唱で感動しました。 「嘘偽りない、この人の心の全てがこの歌になっている」と思える歌でしたね。 その李香蘭こと山口淑子の、人生を振り絞るような歌から、裁判長の判決への流れになって行くのですが、うーん。 高井さんの裁判長、声はきれいだし決して悪くはないんだけど、ちょっと歌が「小さい」ような気がする。 それは声量の問題ではなく、周囲を包み込もうとする意志の強さ、周囲に語りかけようとする意志の強さの問題ではないかと思うのですが。 セリフ部分は結構香蘭に語りかけるような懐の深さがあっていいと思うのですが、歌でももっと周りの人々に雄弁に語りかけて、皆の心を動かしてほしいなぁ。 もう一つ、ちょっとテンポが不安定(走り気味だったり、反対に遅れ気味だったり)だったので、ここはきっちり伴奏に合わせたほうがいいと思う。 と言うのも、この場面は裁判長の歌が基準であり規範であり、同時に精神的な意味での秩序でもあるので、自分のテンポで揺らしてはいけない。 さ〜て、明日の観劇後、私は無事に神戸に帰れるや否や! ザ・運試しですね。]]> ファントムエコバッグ http://asatte.jugem.jp/?eid=745 2013-07-05T00:00:00+09:00 2013-07-04T15:33:27Z 2013-07-04T15:00:00Z 先だって、オペラ座好きの某さんから、ちょっと喜ばしいお便りを頂きまして、そのお祝い・・・というわけでもないのですが、ラインストーンを使用した「ファントムエコバッグ」を作りました。実はそもそも2月のお誕生日祝いとして作ろうと、ぼんやりと頭の中にイメージだ... あさって オペラ座の怪人 先だって、オペラ座好きの某さんから、ちょっと喜ばしいお便りを頂きまして、そのお祝い・・・というわけでもないのですが、ラインストーンを使用した「ファントムエコバッグ」を作りました。 実はそもそも2月のお誕生日祝いとして作ろうと、ぼんやりと頭の中にイメージだけはあったのですが、4月以降の忙しさにかまけているうちに気が付けば7月ですよ。 で、出来あがったブツがこれ。 ユナイテッドアスレの無地トートバッグと、スワロフスキーのホットフィックスのラインストーンを使って作成しました。 頭の中に浮かんだイメージを、どう現実の品物にしていくか。 イメージ通りにいく事もあれば、イメージとは違うものが出来あがってしまう事もありますが、今回のファントムエコバッグに関しては、ほぼイメージ通りに仕上がりました。 イメージ通りに仕上がると、かなり快感なんですわ、これが(笑) ターコイズブルーの生地に、ムーンライトという色のラインストーンを貼りつけました。 純粋にクリアなクリスタルとは違って、少し靄がかかったようなニュアンスのある白なんですよね。 こちらはブラック生地にシルバーナイトを使用。 同じような黒系の色に、ブラックダイヤモンドと言う色がございますが、ブラックダイヤモンドはやや緑がかった黒なのに対して、シルバーナイトはわりとニュートラル(微妙にブルー寄り?)な黒となっております。 無地のトートバッグではあるのですが、ちゃんと内ポケット付き。 ポケットがあるのとないのじゃ、かなり使い勝手が違うと思うんですよ。 いや〜、しかし無地のトートバッグが700円程度、スワロフスキーのラインストーンが400円程度。 まとめ買いして原価安く抑えて、1個2700円ほどで売れば、もしかしたら商売ができるのではなかろうか。 このままでは仮面のデザインが著作権・商標権に引っかかるかも知れませんが、ちょっとデザイン変えりゃぁいいしなぁ。 ・・・・・本気で副業にしようかしら、ブツブツブツブツブツ・・・。]]> 踏み台の上にも2ヶ月 http://asatte.jugem.jp/?eid=744 2013-06-28T23:54:00+09:00 2013-06-28T15:28:19Z 2013-06-28T14:54:00Z と言うわけで、ジリジリと中年太りしつつあったわたくしが、踏み台昇降運動を始めてから、まるっと2ヶ月経ちました。さすがに完璧に毎日・・・と言うわけにはいきませんでしたが、ほぼ毎日(と言っていいと思う)20センチの台で105回/分を30分続けた結果っ!パンパカパ〜... あさって と言うわけで、ジリジリと中年太りしつつあったわたくしが、踏み台昇降運動を始めてから、まるっと2ヶ月経ちました。 さすがに完璧に毎日・・・と言うわけにはいきませんでしたが、ほぼ毎日(と言っていいと思う)20センチの台で105回/分を30分続けた結果っ!パン パ カ パ〜 ン ! 今現在で2キロの減量に成功いたしました。 いや〜、初めの1ヶ月は体重は落ちないわ、足は筋肉が付いて反対に太くなるわで、結果がなかなか見えて来ない状態だったのですが、ここ2週間ほどでストンと落ちましたね。 だいたい8ヶ月ほどかけて4キロ太ったので、まあ半年で3キロぐらい減量出来たらいいかなと思っておったのですが、意外に順調なペースで落ちてますね。 もう少しゆっくりでもいいかも知れないな。 あまり急激に体重を落とし過ぎると、どうしても反動が来るでなぁ。 ちなみに脂肪1キロを燃焼させるには、約7200kcalを消費する必要があるそうです。 要するに1日120kcal程度、摂取カロリー<消費カロリーにしてやれば、2ヶ月で1キロは痩せられると言う事ですね。 まあ日々の間食をやめりゃすぐ痩せるだろ、という話なのではございますが、食後のアイスクリーム、これは譲れない・・・。 それに、運動をしていないと、太っていなくても体がたるんで来るんですわ。 地球の重力に打ち勝つには、やはり運動による筋肉のトレーニングが必要なのであります。 秋の健康診断までに後3キロ、アイスクリーム片手に頑張りたいと思います、はい。]]> Row Row Row Your Boat http://asatte.jugem.jp/?eid=743 2013-06-13T22:29:00+09:00 2013-06-14T14:49:43Z 2013-06-13T13:29:00Z はぁ〜〜肌寒い東京から灼熱の大阪へ戻って来ました。たかが500キロされど500キロ、この気温の変化は老体にはなかなかきついのでございます。しかし出先でゴチャゴチャとつぶやく分には、Twitterは確かに便利ですね。長文を組み立てる必要がないので、リアルタイムの新... あさって オペラ座の怪人 はぁ〜〜肌寒い東京から灼熱の大阪へ戻って来ました。 たかが500キロされど500キロ、この気温の変化は老体にはなかなかきついのでございます。 しかし出先でゴチャゴチャとつぶやく分には、Twitterは確かに便利ですね。 長文を組み立てる必要がないので、リアルタイムの新鮮な感情を、新鮮なまま文字にして表現する事ができる。 掘り下げの深さと言う点では、一度自分の感想を練って、再構成したブログには及ばないのかも知れませんが、人間関係においても舞台の感想においても、”ファーストインプレッション”いわゆる第一印象は、実はかなり本質に近いのではないかと思ったりするのであります。 と言うわけで、本日の舞台に対して思った事の主軸はTwitterで書いてしまっているので重ねませんが、ただ本当に出来が悪かったと言うわけではないんですよ。 [The Music of The Night]は、その歌を耳にする人全てを眠りの園へ誘う、魔物の歌のように優しく誘惑的でしたし、天使像の上の嘆きも澄みきった悲しみが滲むような声でよかった。 今日の[The Music of The Night]を聴いていて、思い浮かべた詩がありました。 それがブログの題名にもなっている『Row Row Row Your Boat』。 Row,row,row your boat Gently down the stream; Merrily,merrily,merrily,merrily, Life is but a dream. 漕ごう、漕ごう、漕ごう、あなたのボートを 流れにのってゆるやかに 楽しく、どこまでも楽しく だって人生は夢のようなものだもの 私たちは、生まれた瞬間から『人生』という名のボートに乗って、ゆっくりと川を下っている。 いずれ全ての終着点である大海にたどり着くまで。 人によっては矢のような早さで漕ぎ抜けて行ってしまったり、あるいは途中で事故に会って沈んでしまったりする事もある。 しかし個人差はあれども、常にゆっくりと終わりの時に向かって川を下っている。 高井さんの歌を聴いていて、なぜかゆっくりと船を漕いでいるようなイメージが浮かんだのですよ。 それはTwitterにも書いた通り、ある種の揺らぎを感じる歌い方だったせいもあるのかも知れませんが、ファントムがゆっくりと「終わり」に向けて、船を漕いでいるような歌だと思ったんですね。 高井さんが歌えば、舞台は終幕に一歩近づく。 『オペラ座の怪人』という舞台・・・一つの大きな船が、出演者と観客を乗せてゆっくりと終点に向けて進んで行っているようで、しみじみとした哀しさと言いますか、哀愁のようなものを感じてしまいました。 終わってしまうのですなぁ、夜の調べと共に。 ただ心の底から、全てを忘れて感動するには、今日のファントムは第三者的な余裕があり過ぎた。 表現の大きさ=情熱の強さではない。 人間の本当の心の動きと、表に現れる表情は、そんなに簡単にイコールで結べるものではない。 しかしまあ、ぶっちゃけこのレベル(舞台の上で虚飾のない己の心を開く)での感動を求めるのは、高井さんくらいのものなんですけどね。 一人舞台の中央に立って、ライトを浴びながら、幕が完全に下りるまで胸に手を当てて深々と頭を垂れる高井さん姿には、どこか不可侵な美しさがありました。 マスクが白く光って、「祈り」という言葉がそのまま結晶したようだった。 そう、本当の心と言うのは、沈黙の中にすら溶け出して輝くものなんですよ。 後2回の公演、高井さんには自分を剥き出しにして望んで欲しい、求めて欲しい。 どうか私を愛してください、と。 追記 高井さん、少し痩せられましたかねぇ。 私が太ったから、相対的に痩せたように見えるんだろうか・・・。 最後によっしー(※吉住さん)の演奏の聴き納めが出来なかったのが残念だ。 あの、ある意味我慢強い(?)端正な演奏が好きであった。 高井さんのファントムは、これから先一切観られなくなる事はないと思うのですが、よっしーの演奏は少なくとも次の東京公演までは聴けないもんなぁ。 東京公演の縁の下の力持ち、オーケストラの皆さんにも感謝を。]]> 忙しい・・・ http://asatte.jugem.jp/?eid=742 2013-05-30T00:06:00+09:00 2013-05-29T16:16:51Z 2013-05-29T15:06:00Z ああ、忙しい忙しいこの春に我が製剤課で、大規模な異動があった事は前にも書きましたが、ここへ来てその煽りをもろに喰らっておりまして、どうにもこうにも忙しい。そもそも前課長(エグザイルの好きな今時の55歳)が、ちゃらんぽらんな性格にも関わらず、かなり仕事の出... あさって 忙しい この春に我が製剤課で、大規模な異動があった事は前にも書きましたが、ここへ来てその煽りをもろに喰らっておりまして、どうにもこうにも忙しい。 そもそも前課長(エグザイルの好きな今時の55歳)が、ちゃらんぽらんな性格にも関わらず、かなり仕事の出来る男であったのに加えて、現課長(又の名をペガサス)が、いわゆる「管理職」の経験のない初心者マークである事が重なって、悪循環に陥っている。 つまり、前課長の膨大な仕事量を現課長が全くこなせず、溢れた仕事が私にまで回って来ているのであります。 本来であれば係長が支える所なのでしょうが、これまた不幸な事に、ベテランの係長が異動になっておりまして、一人は半年前に製剤に来たばかり、もう一人もそれほど経験が長くないという、藁にもすがりたいけれど、藁すら見当たらないと言う愉快な状況なのでございますよ。 私が頼まれてしまったのは、マニュアルの作成。 現場の手順に従って、好き勝手作れるのならいいのですが、いわゆる「行政文書」的な性質があるので、上位文書の内容から外れてはいけないんですね。 またフォントや行間、インデント、見だしの形式、文字の全角半角等の決まりごとも多く、ぶっちゃけそんな細かい規定があるって事すら知らんかったとですよ、ええ。 上位文書の手順は遵守しなければならないのですが、やはり実際の現場の手順は、作業の効率性から、内容は一致していても順番が前後していたりする。 上位文書の内容に沿って記述→現場の手順から外れる。 現場の手順どおりに記述→上位文書の内容とは食い違う部分もある。 このジレンマをどうすればいいのであろうか。 今までこの手の仕事を、エグザイルの好きな今時の55歳が一手に引き受けていただけに、誰も詳しくは分からないんですよねぇ。 いや〜、それにしても前課長は凄かったんだなと。 しかしなんだ。 苦しんで苦しんで、もがき掴まないと身に付かないものってあると思うんですよね。 私が今ここで苦労する事によって、上位文書及びその下位に属するマニュアルの様式に対して、必要な知識を得ることが出来たならば、それは私にとってこれから先大きな力となるだろう。 「分からないから」と言ってやらなければ、いつまで経っても分からない。 苦労と言うのは、自分が成長するためのチャンスでもある。 私が今持っているオペラ座のチケット、12日だか13日だかのマチネ公演一回きりなのですが、その頃にはケリがついているといいなぁ・・・。]]>