と言う訳で行って来ました、オペラ座と夢醒めツアー。
一応夏のボーナスで買った、パワーショットS95を持っていったのですが、ほとんど出番がありませんでしたねぇ。
いや、夢醒めのロビーパフォーマンス撮ればいいじゃないの?と思われる向きもあるかも知れませんが、「はい、撮りますよ〜」と声をかけて撮影できるシチュエーションから外れる場合は、人に対してカメラを向けるのには、微妙に抵抗があるのだ。
人はモノではないのでなあ。
しかしながらロビーパフォーマンスの撮影に関しては、四季側からも公認されているようなので、今度行く機会があれば頑張ってカメラマンしてくるかな(笑)
その写真を観て少しでも作品に興味を持ってくれる人がいれば、Win-Winの結果が得られる事になりますしね。
木曜日は『オペラ座』+バックステージツアー、金曜日は『夢醒め』と観てきた訳ですが、まずファントム。
佐野さんで観るのは久しぶり・・・・と言いますか、大阪以来ですかね。
ほとんど初見のような気持ちで観て来たのですが、やっぱり少し歌にしろ演技にしろ、一杯一杯で頑張っていると言う雰囲気が、そのまま客席に伝わってしまっているかなぁという感じでしたね。
もう一つ気になったのが、その場その場の演技に力を入れているために、眼の前の感情表現に気を取られて、いわゆる一人の人間としての全体像が浮き上がって来なかった点。
非常に短いスパンで演技を細かく組んでしまった結果として、全体を通してファントムがどんな人間であるのか、いわゆる人となりと言うものが見えて来ない。
この演技の組み立てスパンが短すぎるというのは、前回の観劇の時にも書いた記憶があるのですが、今回も同じ事を感じました。
またその場面ごとの演技が、かなり大仰で濃い味付けがされているので、余計に演技がコマ切れに感じられてしまうんですね。
佐野さんの場合は演技を細分化させて、細かく感情を添付して表現する方向ではなく、一人の人間を生み出す、リアルに息づく人間をどう表現したらいいかという方向で演技を考えて行った方がいいような気がしますね。
そして人間を表現するという事は、その場その場の感情を表現する事よりも、はるかに難しかったりします。
沼尾さんはちょっとお疲れでしたかね。
高音がかなり厳しそうでした。
後はそう、鞭男さんがしなやかな踊りでいいですね。
着地してもドスーンと音がしない(笑)
バックステージツアーの参加は、大阪公演に続いて二回目なのですが、舞台監督さんが代替わりしたんだなぁと感慨に浸ったり、ハンニバルの象さんの「パオ〜ン!」が、地道な手作業である事を知って目頭が熱くなったり(・・・嘘です)、舞台監督さんが、大道具さん・照明さん・音響さんに指示を出して、舞台冒頭のシャンデリアが上がって行くシーンを再現して下さった時には、それだけで謎の感動に襲われたり(これは本当です)、音響さんがマイクの説明をしている時に、「バックアップ」という言葉を何度も使われているのを聴いて、ああ、やっぱり機材のトラブルがあった時にも、音を切らさないように普段から注力されているんだなぁと感心したり、色々と発見があり楽しかったです。
スタッフの皆さんにとっては本当に余計な仕事になってしまうのでしょうが、どうもありがとうございました。
個人的には、上手側のスタッフさんが脇道にそれた話をし過ぎて、説明のための時間が全く足りなくなったのが何気にヒットでした。
またその脇道にそれた話ってのが、どうしようもなくしょーもない話だったんだな、これが!
しかしそのしょうもなさ加減がいい味出してました、はい。
その日はグランヴィアに泊まりまして、次の日新幹線で名古屋へ。
劇場敷地内に入ると、何やら弓を持ったお兄さんが追いかけてきたので、あわてて劇場内へ。
劇場に入ったら、今度はピエロのお姉さんに捕まったので、あわてて客席内へ。
しかしながら客席内にはまだお客さんがまばらで、「今度捕まったらもう逃げ場がないづら〜〜どうすんべ〜〜〜」と思っていたのですが、幸い青っぽいマントに黒い仮面の人がゆっくりと前を横切って行っただけで穏やかに時が過ぎていきました。
・・・・・すみませんね、小心者なもので。
で、そろそろ開演かという頃になって、脇をこれまた青緑っぽいマントの人がゆっくりと通り過ぎて行ったかと思ったら、前方の席に腰を掛けているではありませんか。
もしやこれが・・・・と思っていたら、案の定その青緑マントさんが配達人でした。
おもむろにマント脱ぎ捨てて、「人は誰でも夢見る〜〜(ドヤッ!)」という高井さんのどや顔を観た瞬間に、一瞬思考が止まり、その後も結構な時間思考が止まっておりましたが、「夢を観ただろう?」というセリフで、「タモリさんが琵琶で『ふるさと』を弾いてる夢を観せたのはお前か!」と思考が復活しました。
配達人は結構長台詞が多いので、どうなるかなと思っておったのですが、わりと無難にこなされていたんじゃないかと思いますね。
全体から受ける印象といたしましては、何かと世話焼きな近所のおっちゃん。
高井さん自身、「優しくいい人」として配達人を演じようとされているなと。
しかし何だろうなあ。
個人的にもっと配達人は得体の知れない、底の知れない、優しく包み込む一方で冷たく突き放すような、不可思議な要素を持ったキャラクターだと思うんですよ。
ちょうど自然が人間にとって残酷で過酷で、でも同時にどうしようもなく美しく優しく魅力的であるのに似ている。
夢を配って歩く、数奇な運命を人にもたらす・・・少なくとも配達人は「人間」ではない訳です。
オペラ座の怪人が、オペラ座に住みつき支配しようとしている”怪人”であるとすれば、夢の配達人は劇場で生まれる夢を操る”怪人”なんですね。
ピコの運命とマコの運命に不思議な魔法をふるって、生と死を超えた奇蹟を起こしたと言う点では、ある意味「神」や「悪魔」と呼ばれる存在に近いのかもしれない。
ちょうど一幕が終わる時に、地獄行きのロケットへ通じる道から配達人が出て来るのは、なかなか意味深だなぁと思ったのですが。
高井さんの配達人を観ておりますと、わりと最初から最後までピコとマコにべったり親身なんですね。
なのでちょっと演技にメリハリがなく単調なんですよ。
高みから人間の夢を操る超自然的な存在である配達人が、本当に心を動かされる場面はどこなんだろう。
人間の「思いやり」という、ちっぽけでありながら偉大な感情に揺さぶられたのは、どこなんだろう。
無理して優しい、いい人を演じる必要はない。
本当に心を動かされた場面で、自然と湧きあがって来る暖かい感情をストレートに出してやればいい。
人の運命を左右する力を持つ者独特の超然とした傲慢さの中に、ふと滲む優しさ、ふと漏れる慈愛。
そう言うメリハリが出せれば、もっと高井さんが本来持っている複雑な魅力が出せるのではないかと思います。
冷たさの中で出会った暖かさというのは、より印象的に人の心に残るものなのであります。
後は・・・・そう、マコがよかったな。
ピコもきれいでありながら、同時に力強さを持った声でいいなと思ったのですが、マコの演技がよかったなぁ。
深い悲しみを、優しさと思いやりと、強い意志できらきらと輝かせているようなマコだと思いました。
佐和さんの老婦人もよかったな。
台詞の間の取り方が絶妙で涙を誘う。
煉獄の三人組は相変わらずダンディです。
「誰でもないあたし」の変なバックコーラス&振り付けはいつ見てもいい!
あ、そうそう、部長の歌がまた変わったんですねぇ。
今の歌で三代目かな?
本日の舞台、客席は見事にガラガラだったのですが、それでも寂しくならない、むしろアットホームな雰囲気が生まれるのはこの舞台の魅力ですね。
観に行くかどうか迷ってる方がいらっしゃいましたら、ぜひどうぞ劇場に足を運んでみて下さい。